社員ブログ
新年に寄せて
謹賀新年
昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年も社員一同、皆様にご満足いただけるサービスを心がける所存でございますので、
何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。
本年1月1日は平成最後の元旦となりました。
1月2日に行われた現天皇皇后両陛下がお出ましになられた新年一般参賀も本年で最後。
幸運にも皇后様と同じ「美智子」という名前をいただき、漢字はどう書きますか?と問われた際に皇后様とご一緒というのは分不相応と思い、美しいに、知という字の下に日と書く智に、子供の子です。と答えると結局は「美智子皇后様とご一緒ですね」と言われることが多く、勝手に誇らしい気持ちになっていたものです。
小林正観さんの言葉より、昭和天皇に関するお話をひとつ。
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昭和20年8月30日、ダグラス・マッカーサー元帥が日本に降り立ちました。終戦後、GHQの最高司令官として日本の占領政策を進めるために来たのです。
約1ヵ月後の9月27日に昭和天皇が会いにくるということになった。マッカーサーは、どうせ命乞いに来るのだろうと思って、自分の部屋でコーンパイプをくゆらせて足を組んで待っていた。迎えには出なかったそうです。
昭和天皇は燕尾服(えんびふく)を着てやってきて、「マッカーサー元帥、お願いがあります。ここに皇室の財産目録があります。私の命とこの財産目録を差し出しますから、日本国民のためにアメリカから食料を送っていただきたい」と言ったそうです。
マッカーサーは驚いた。
今までいろんな人に会ってきたけれど、命乞いするとか亡命をするという人ばかりであって、自分の命を差し出すというトップの人には一人も会ったことがなかった、それで大変驚いたのだそうで、話をしているうちに、この人はポーズで言っているのではなくて、本当に心からそういうふうに言っているのだと思ったそうです。
命も本当に差し出し、財産目録も本当に差し出している。その財産目録を見たら、細かいものまで全部載っている。
昭和天皇が本当に誠心誠意対応したということがわかり、マッカーサーは本国に連絡して、子供用の食べ物、特にチョコレートやチューインガムを大量に送らせました。そして、届いた食べものを米兵を使ってどんどん配り始めた。
あのチョコレートとチューインガムを配っていたのは米兵の厚意であるけれど、実はその根っこには昭和天皇の一言があったのです。マッカーサーは、その人格に打たれて、昭和天皇が帰るときには玄関まで見送ったそうです。そして、昭和天皇の車が出て行くときに、敬礼をしたという話が残っています。人間には、そんなことが可能だということです。
1月1日、天皇陛下は東西南北四方に向かい、正座をして、お祈りするそうです。
「今年この国に災いがあるとしたら、まず私の体を通してからにしてください」。
これを四方拝(しほうはい)といいます。
天皇家は、それを毎年繰り返しながら、100代以上にわたって生きてきた家系だそうです。
天皇家というのは、そういうことを言い続けてきた家系である。
そして災いを一身に浴びて、背負いきれなくって亡くなると、それを皇太子殿下が受け継いで、また災いを一身に浴びて死んでいくという、そういう家系だったということです。
人間の魂はここまで崇高なところに行くことができるとういことです。
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今年一年、ご縁をいただいた皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈りいたします。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
福田美智子